マルエフ秘話
アサヒビール及びマルエフ 年表
| 1889.11 | アサヒビールの前身である有限責任大阪麦酒設立 |
|---|---|
| 1889.09 | 設立準備中に吹田工場完工 |
| 1892. | アサヒビール発売 |
| 1900.03 | 吾妻橋の秋田藩主佐竹邸跡を東京工場として購入 |
| 1903.06 | 東京工場稼働 |
| 1903. | アサヒビール、シェアトップとなる |
| 1906.03 | 日本麦酒・札幌麦酒・大阪麦酒が合併、大日本麦酒が設立される |
| 1948. | 大日本麦酒GHQより集排法指定を受ける |
| 1949.09 | 分割により朝日麦酒が設立される |
| 1953. | アサヒの出荷量が12万3986キロℓとなる |
| 1962.10 | アサヒ、サッポロの合併交渉始まる |
| 1963.03 | 新聞のスクープにより合併白紙撤回 |
| 1963. | アサヒが特約店網をサントリーに開放 |
| 1968. | シェア20%を割り込む。本生発売 |
| 1970. | 住友銀行、大株主となる |
| 1981. | 創業以来初のリストラ |
| 1982.02 | 住銀副頭取の村井勉が社長に就任 村井、経営理念の策定に着手。本社の部長約10人を集め月一回読書会を開始。交流の無かった部長同士の本音がやり取りされるようになる。「ぬかみそと中間管理職はかき回さないとダメ」という村井理論による。 |
| 1985. | シェア10%割る。年初に味を見直すプロジェクトチーム発足 |
| 1985. | 秋に大規模試飲調査実施 |
| 1985.10 | CI宣言 |
| 1985.11 | 阪神優勝 |
| 1986.02.19 | マルエフ発売。同年、販売量前年比12%UPとなり、シェアも10%を超える |
| 1986.03 | 村井退任 |
| 1987.03 | スーパードライ限定販売 |
| 1987.05 | スーパードライ全国販売 |
| 1989.10 | 吾妻橋に新本社ビル竣工 |
| 1989.11 | 創業100周年を迎える |
| 1993. | 選択と資源集中によりマルエフの一般発売中止 |
| 2021.09.14 | 一般小売マルエフ再発売開始。3日で一時休売となる |
| 2021.11.24 | 再発売 |
| 2025.01 | マルエフ、リニューアル。現在に至る。 |
なぜロゴはフェニックス?
マルエフが生まれたのは1986年2月。正式名称はあくまで「アサヒ生ビール」であり、マルエフは開発記号でした。
その頃のアサヒビールは大日本麦酒以来の吾妻橋工場売却(つまりここ。後年、売却先の墨田区から半分買い戻して今、本社がある)、群馬県邑楽町の広大な新工場建設予定地も売却という資産切り売り状態。巷ではアサヒビールならぬ夕日ビールなどと陰口を叩かれる、後がない状況。住友銀行の磯田会長が84年にサッポロとの救済合併を画策するが佐治敬三社長に「水に落ちた犬に棒を差し出すのは無謀」と断られ、樋口廣太郎をアサヒ幕引きのために送り込んだといわれるくらい(住友はサッポロとの合併を目的にメインバンクとなった)。
東洋工業(マツダ)再建の功労者であり、自主再建の切り札であった村井社長でももはや打つ手なし。
ところがこの直後、色々な神風がアサヒに吹きました。そのひとつが阪神の優勝。85年4月17日、甲子園球場で阪神打線が爆発、その勢いで連日勝ちまくりセリーグ優勝、更には日本シリーズ優勝。この時甲子園球場のビールはアサヒの「ガンバレ阪神タイガース」という缶ビールの独占販売。通常の4倍以上売れ、自社の工場に罵声を浴びせながら空き缶を投げつけていたような社内の士気が大いに上がったといいます。
同じくして現場の意見に耳を傾け、更にCIなどを地道に進めていた村井社長発案の本社部長級を集めた読書会が実を結びマルエフ誕生の端緒となりました。
読書会にて「原点に返り、お客様が本当に求めているビールを知ろう」という意見が出ました。ちょうど85年年初にCIの一環としてラベルと味を変えよう、という動きがあり、プロジェクトチームが発足していたこともあり、85年秋に東京と大阪の酒屋の店頭で5000人を対象に調査を行いました。
この調査結果は驚くべきもので、ビール会社は重厚なドイツビールタイプを志向していたのに対し、洋食化などを背景にもっと軽快で飲みやすいビールを20代、30代が顕著に求めていることが解ったのです。
また、生産の責任者も新任のマーケティング責任者と会い、なぜシェアダウンが続いたのか、社内と消費者の価値観、判断基準がずれているのではないかを問うと、消費者は味が解る、味の好みは世代で変わる、との仮説を得たといいます。プロダクトアウトになっていたわけですね。 さらに83年に始まっていたレーベンブロイとの技術提携も海外の技術者から酵母・醸造の技術を直に学べる機会となっており、技術と知見が蓄積されつつありました。
これらの背景をもって酵母や麦芽、ホップを一新して創業から97年目の86年、マルエフが誕生しました。
5000人の試飲調査結果をベースに開発した事と、CMにジャンボ尾崎と青木功を起用した事などもあり、翌年には前年比12.0%アップとなり、アサヒのシェアも10.1%と5年ぶりに二桁となり、アサヒ浮上のきっかけとなったわけです。
浮上と復活を期待されたマルエフは不死鳥であるフェニックスに例えられ、それがフェニックスの頭文字Fをとって開発記号マルエフと呼ばれるようになったともいいます。但し正確にはphoenixであり、マルピーとなってしまうので、むりやりフェニックスの音読みのFだ、はたまた幸運(フォーチューン)のビールだ、を後付けしたとも言われていますが。
その後、マルエフと同時に開発が始まり、翌年に発売されたスーパードライが発売から販売計画の上方修正が続くヒット、不死鳥は陰にひっそりと隠れ1993年に一般販売は中止となり、ごく一部の飲食店(約1600軒)のみで提供され続けてきました。その後2021年からの復活劇はご存じの通りです。
ですが飲食店においてはスーパードライからの切り替えはそう簡単ではないのでまだまだ「幻のアサヒ化」しています。